エニィーとラムと野菜と黒牛と青空

趣味で育てている野菜の成長や、日々の日常などと綴っていきます。

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追悼:有馬三恵子さん

僕らが青春時代に数々のヒット曲を作詞した有馬三恵子さんが亡くなりました。まさに昭和と平成を代表する作詞家でした。ご冥福をお祈りします。

作詞家の有馬三恵子さんが死去 「小指の想い出」など作詞
(4/21(日) 22:20配信 共同通信)
 「小指の想い出」など数々のヒット曲を手掛けた作詞家、有馬三恵子(ありま・みえこ)さんが21日までに千葉県内の自宅で死去した。83歳。山口県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。遺族によると、20日午後、自宅で倒れているのを長女夫妻が発見し、救急隊員が死亡を確認した。病死とみられる。

 「あなたがかんだ」で始まる伊東ゆかりさんの同曲、南沙織さんが歌い森高千里さんらがカバーした「17才」、金井克子さんの「他人の関係」、布施明さんの「積木の部屋」の他、広島カープの応援歌「それ行けカープ」の歌詞も担当した。


南沙織

南沙織「17歳」(有馬三恵子作詞、筒美京平作曲)


有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年または1936年 - 2019年4月18日)は、日本の作詞家である。伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」、 布施明「積木の部屋」等のヒットで知られる。

人物・来歴
山口県防府市出身。法政大学を卒業。1960年代後半から作詞家活動を開始する。

時期は不明であるが、同郷の出身の作曲家で当時音楽之友社『ポップス』誌編集長であった鈴木淳と結婚、鈴木を職業作曲家として確立させた1967年(昭和42年)2月10日発売のヒット曲、伊東ゆかり「小指の想い出」の作詞を手がけ、「おしどり夫婦」と紹介される。同年に鈴木とともに手がけた楽曲には、ザ・ピーナッツ「東京ブルーレイン」(同年5月発売)、いしだあゆみ「こまらせたいの」(同年8月発売)、黒木憲「夜の東京の片隅で」等がある。1969年(昭和44年)まではコンビとして共作を生み出すが、のちに離婚、鈴木は悠木圭子と再婚する。

1971年(昭和46年)、南沙織のデビュー曲「17才」の作詞を手がけ、同作は同年6月1日に発売されて54万枚のヒットを記録する。以降、南の引退する1978年(昭和53年)8月21日発売の実質的ラストシングル「Ms. (ミズ)」まで、作曲家の筒美京平と組んで多くの楽曲の歌詞を書いた。同年6月、1975年(昭和50年)4月21日発売の「想い出通り」に由来する書名を持つエッセイ『今日からが思い出通り - 愛と出逢うための30章』を発表する[4]。筒美京平、川口真らの曲に詞を提供し、数々のヒット曲を生み出している。

CBSソニー(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)で南沙織を手がけるのに成功した有馬は、1974年(昭和49年)、ユニオンレコード(当時テイチク、現在のテイチクエンタテインメント傘下のレーベル)での風吹ジュンの歌手デビューに際し、デビュー曲「愛がはじまる時」以降3曲の作詞を手がける。
佐々木久子が主宰する「カープを優勝させる会」のメンバーでもあり、1975年には、広島東洋カープ応援歌「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(作曲・宮崎尚志、歌唱・塩見大治郎)の歌詞を手がけた他、「ゴーゴーカープ」、「ヴィクトリー・カープ」等の作詞もしている。
1980年(昭和55年)、石野真子に「めまい」を提供、満19歳の夏を迎えた石野の大人への脱皮に貢献する。
2004年(平成16年)、英知出版が出版した短編小説集『会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった--。』に、南沙織の同名の楽曲をモチーフにした小説『17才』、翌年出版の続篇『会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった 2』に布施明の同名の楽曲をモチーフにした小説『積木の部屋』を発表している。

日本脚本家連盟が主宰する作詞教室の講師を務め、同連盟主宰の「作詞コンクール」の審査員を務めている。日本作詩家協会会員。
2019年(平成31年)4月18日、心筋梗塞のため死去。83歳没。
(wikipediaより)


フロントタイヤ交換

12ヵ月点検で、前輪の内側がかなり減っているということなので交換することにしました。今回依頼したのはイーグルショップ浦和さんです。このショップはS2000のお客さんが多いようです。AP1と思われるS2000が4~5台ありました。また僕の職場からはそれほど離れていませんでしたし、ディーラーよりは安くできるようですのでお願いすることにしました。
ナビの無い車なので、行ったり来たりで予約時間ギリギリに到着。

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元々タイヤはブリジストン POTENZA S001でしたが、廃版となり現在は新しくなりS007だそうです。センターに深い溝が切ってあるためウェイットにも強く、しかもグリップも犠牲にならないそうです。見た目にはS001と大きな違いはないようです。

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作業時間は30分程で終了です。

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帰りは岩槻ICから栃木ICまで乗りましたが、さすがにグリップ力は回復し、安心感のある走りになりました。
その後一般道を走りましたが、グリップ力、乗り心地ともに格段に良くなりました。やはり新しいものは良いですね!

GW明けにはオーディオを交換予定です。

ブルーマウンテン

僕の誕生日に頂いたコーヒー豆を頂きました。今回はその内のブルーマウンテンを頂きました。ドーム状の残りかすを見て奥様曰く、

「アメリカンなおっぱい!」

だそうです!笑)

味は非常に滑らかでした。

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ご馳走様でした!

週末ドライブ~鯉のぼり

端午の節句まじかになると前日光つつじの湯交流館に向かうK246の途中に鯉のぼりが泳ぎます。この日はドローンを持って出かけました。雲一つない晴天に緩やかな風に乗って悠々と泳いでいました。田圃にはまだ水が張ってありません。水田に映るともっと絵になると思います。機会があったらもう一度行ってみようと思います。

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その後は「北の路」さんでお蕎麦を食べようと霧降高原に向かいました。霧降高原は10日に降った雪で真っ白でしたが道路は問題なく走ることができました。大笹牧場も営業を始めていました。

残念ながら「北の路」さんのご主人は左手を骨折したらしく営業は連休になってからのようです。僕らのためにも早く完治してほしいものです。

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まだ午前11時ですので、鬼怒川温泉を目指しました。途中にある川治ダムでまたまたドローンを飛ばしてみました。幸い風もありませんでした。

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その後は何時もの道をドライブしながら日光スパ屋さんでお昼ご飯にしました。2人用のセットメニューで、サラダ、パスタ、ピザ、ドリンク、デザートが付きます。なかなか食べ応えがありました。

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帰りにジャガイモの種イモを買い、夕方に植え付けました。他の家より半月ほど遅い植え付けでした。


PLAYBACK~月光(鬼束ちひろ)

奥様はアマゾンで無料の音楽をよく聞いており、ドライブ中もカーラジオに流しています。
その中に女性が歌う「月光」と「三日月」という曲がありましたのでこれから聴いてみたいと思います。続いて月つながりでベートーベンのピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 『幻想曲風ソナタ』("Sonata quasi una Fantasia")、いわゆる「月光ソナタ」、さらに同じような女性歌手平原綾香さんが歌う「jupiter」を聴いて行こうと思います。

まずは鬼束ちひろさんの「月光」です。発表は2000年だそうですから19年前の音楽です。本人が19歳の時だそうです。歌詞は難解・・・・かもしれませんが、それ以上にどうして「月光」というタイトルなのか。歌詞には月光という単語は出て来ません。歌詞の最初は「I am GOD’S CHILD」で始まるのですからキリストと関係がありそうですが分かりません(下のPVでも十字架が描かれています)。
出だしはピアノソロで始まります。雰囲気は似ていますが、ベートーベンの月光と関連があるのかもしれません。「月光ソナタ」という愛称は、詩人のルートヴッヒ・レルシュタープがこの曲の第1楽章がもたらす効果を指して「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と表現した(wikipediaより)ことからインスピレーションを受けたのかもしれません。しかし曲調はソナタの第1楽章よりも第3楽章に近いようにも思います。

恋愛の歌が多い若い女性の中でこのような曲を作ってしまった鬼束ちひろは、キリストのようにこの曲で磔(はりつけ)にされてしまったのかもしれません。「I am GOD’S CHILD」と言った瞬間から定められた運命なのでしょう。
(公開してから思いましたが、磔にしたのは鬼束さんを売ろうとした業界の人達ですし、それを受け入れた僕達です。念のため)

月光

youtubeは↓

月光(鬼束ちひろ)


「月光」(げっこう)は、鬼束ちひろの2枚目のシングル。

解説
2000年8月9日に発売された。作詞・作曲は鬼束ちひろ、編曲は羽毛田丈史。表題曲は、抑圧からの解放を願うミディアム・バラードである。
ドラマがヒットしたこともあり、オリコンウィークリーチャート初登場30位から11位までランクアップ、10か月近くもチャート内にランクインするロングヒットを記録した。累計売上は50万枚以上を、出荷枚数にして60万枚以上を記録している。これはシングル作品としては自己最高である。また当楽曲は音楽配信でもロングヒットを続けており、日本レコード協会からダブル・プラチナの有料音楽配信認定(50万ダウンロード以上)を受けている。
もともとこの作品は2枚目のシングルとしてリリースする予定はなかったが、ドラマのヒットにより急遽シングル化されることとなった。
調(転調あり):嬰ヘ短調(F♯m)→嬰ト短調(G♯m)
2014年に上映された映画『トリック劇場版 ラストステージ』のCMにも流されている。
(wikipediaより)

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