エニィーとラムと野菜と黒牛と青空

趣味で育てている野菜の成長や、日々の日常などと綴っていきます。

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PLAYBACK~ランナウェイ-RUN AWAY-(シャネルズ)

今週からまた男性ボーカルグループに戻ります。

シャネルズ(後にラッツ&スター)は一度見たら忘れられないグループです。以前紹介したキングトーンズと同じドゥーワップ・スタイルです。
改めて確認しましたが、この曲は作詞:湯川れい子、作曲:井上忠夫です。ヒットするはずです。1980年デビュー曲の「ランナウェイ」は、ミリオンセラーとなったそうです。

ランナウェイ

youtubeは↓

ランナウェイ-RUN AWAY-

ラッツ&スター(RATS & STAR)は、日本の音楽バンド。かつてはシャネルズ(CHANELS、後にSHANELSに変更)のバンド名で活動していた。4人のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っていた。20年以上に亘り活動を休止しているが、正式な解散はしていない。

・鈴木雅之(すずき まさゆき、1956年9月22日 - ) : リードボーカル担当。
 当バンドのリーダーでもある。1986年以降はソロ歌手として活動中。
・田代まさし(たしろ まさし、1956年8月31日 - ) : テナーボーカル担当(シャネルズ時代はバリトンボーカルを担当)
 本名は田代政。グループ時代は「田代マサシ」の名で活動することが多かった(田代まさし名義はソロでタレント活動を行うようになってから)。
 触法行為により有罪判決を受け服役。一度目の刑期を2008年に終えて出所したが、2010年に再び逮捕された。2015年に出所、現在はDARCで活動中。
・佐藤善雄(さとう よしお、1956年9月12日 - ) : バスボーカル担当
 グループの活動休止後はプロデューサーに転身しゴスペラーズを世に送り出したことでも知られる。2016年現在はインディーズレーベル「ファイルレコード」の社長。2006年4月、ゴスペラッツとして活動。
・久保木博之(くぼき ひろゆき、1956年9月10日 - ) : トップテナーボーカル担当

顔を黒く塗っていたのは上記の4人である。

・桑野信義(くわの のぶよし、1957年4月4日 - ) : トランペット、ボーカル、フリューゲルホルン担当
 グループの活動休止後はタレントとして活動。鈴木のソロツアーにも参加。顔を黒く塗っていないのは桑野が白人であるという設定のため。それ故に「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に出演したときは、ダウンタウンにいじられていた。ただしゴスペラッツとしては、2015年には顔を黒く塗るようになった。
・出雲亮一(いずも りょういち、1958年3月21日 - ) : ギター(サイドギター担当)、ボーカル担当
 グループの活動休止後はギタリストとして活動する傍ら、音楽スクールの「MAR WEST MUSIC SCHOOL」で講師を務めている。
・新保清孝(しんぽ きよたか、1957年8月17日 - ) : ドラムス、ボーカル担当
(wikipediaより)



作曲者の井上忠夫さんについて

1963年、ジャズ喫茶で演奏中、ジャッキー吉川・大橋道二にスカウトされジャッキー吉川とブルー・コメッツに参加、リード・ヴォーカル、フルート、サックスを担当。作曲も行い、「青い瞳」「ブルー・シャトウ」などの曲を書いてヒットさせた。なお、ブルコメ参加時に寺内タケシの勧めでそれまでしていたメガネからコンタクトレンズに変えている。
1972年のメンバーチェンジ(実質的な解散)後、作曲家に転身。「学園天国」「ランナウェイ」など、数多くのヒット曲を放った。
1981年1月のジャッキー吉川とブルー・コメッツ再結成に参加した後に井上大輔に改名。ロカビリー時代に内田裕也がとっさに「井上ダイスケ」と誤って紹介したことから、仲間内では「ダイちゃん」と呼ばれていたのがもともとのきっかけ。
日大芸術学部の同級生で友人の富野喜幸(現・富野由悠季)の頼みで手掛けた劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの主題歌「哀・戦士」(第2作)、「めぐりあい」(第3作)や、コカ・コーラのCM曲「I FEEL COKE」などのソロ作品がヒットした。
サックス・プレイヤーとして、山下達郎の「悲しみのJODY」「スプリンクラー」などに参加したほか、1969年の第20回NHK紅白歌合戦では紅組トリを務めた美空ひばりが歌唱した『別れてもありがとう』のサックス演奏で出演している。
2000年5月30日、病気がちの妻の看病疲れや、3月に手術した網膜剥離の術後の経過が思わしくないことを苦に自宅で自殺。満58歳没。同年12月1日、堺正章や内田裕也らが音頭を取り、赤坂ACTシアターで『井上忠夫音楽葬』が開催され、TBS系列で『20世紀 ! 名曲黄金時代スペシャル ~井上忠夫音楽葬~』のタイトルで放送された。
なお翌年の2001年9月15日、自宅内で妻の遺体が発見される。首にひもが巻き付いた状態で死後数か月経過しており、その状況から自殺と断定された。
2002年、5月25日に平塚市の土屋霊園で妻と共に納骨。5月30日に三回忌法要が執り行われた。
(wikipediaより)

残念ながら井上忠夫さんの自殺については全く知りませんでした。ご冥福をお祈りします。



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